昌平君が楚王として反旗を翻すまで・・・

毒国騒動で、呂不韋のもとを離反した昌平君。
ここからは秦王・政の右腕となるはずですが
その最期は悲しいものとなってしまいます。

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合従軍との戦から
秦王・政に心を動かされた昌平君。

花冠の儀に
咸陽に攻め入った嫪毒(ろうあい)ら反乱兵を
昌文君と共に打ち破り、
呂不韋陣営と決別しました。

が、もともと昌平君は
楚国から人質として送られてきた王子。

政がかつて人質として趙にいたような
悲惨な人質人生ではありませんでしたが

楚の王・負芻とは兄弟であり
王翦将軍が楚を攻めた際に
楚の武将・項燕によって
昌平君は楚王に推し上げられました。

六国の滅亡の記事で書きましたが、
大国・楚は粘りつづけ、最後の1国になるまで戦います)

楚の王・負芻は
身内を殺して王座についた人物で
人望がなかったといわれていますし

王族であり
その才も確かな昌平君は
楚が待ち望んだ王だったのかもしれません。

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そして。

人質として暮らした秦で
相国にまでのし上がった昌平君ですが
王族という誇りを持ち続け
いつの日か国に帰ることを考えていたのかもしれません。

とはいえ、
他国を吸収し
大国となっていた秦にはかなわず
王となった昌平君は
秦との戦いで
蒙武将軍に討たれて戦死します。

毒国騒動から
15~18年ほど後の出来事なので
これからまだまだ
先生は政の右腕として活躍するでしょうが
なんというか
敵と味方がころころ変わるのが戦の時代ということでしょうか。
 
 
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