なぜ毛利は村重に援軍を出せなかったのか~官兵衛の救出、だしの悲劇~

NHK「黒田官兵衛」で
尼崎城に逃亡した村重。
だしの悲劇、黒田家の行く道とは

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荒木村重の謀反の理由は
いろいろ言われていますが、

配下の者が
石山本願寺に兵糧を運び込んでいたことが
信長にバレたことが謀反のきっかけにはなったでしょう。

しかしそれ以前から
信長の年貢の高さに耐えかねて
領民の不満が爆発寸前だったことや、

荒木村重は穏やかな気性であったため
信長の残虐無慈悲な命令に耐えきれなくなったとも。

信長は
女・子供であろうが
反逆者は残らず殺す、がモットーですから
無理もありません・・・。

ただ、黒田官兵衛を殺さなかった理由に関しては
やはり親交があったので味方につけたかったのが本音でしょうか?

しかし近年では
村重が官兵衛を幽閉はしたが
きっかけは官兵衛が居座ったことが原因とも言われています。
村重は帰れと言ったけれど
帰らなかったから幽閉された、と。

どちらが本当かどうかはわかりませんが
やはりいつの時代も
友を直接手にかけるのは武将といえど
気がひけたのでしょう。

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黒田官兵衛が幽閉された期間は
およそ1年間です。

その間に、信長は黒田官兵衛のことを
裏切り者とし、人質の松寿丸を殺せと命じます。

しかしそれを秀吉が
殺したことにしてかくまっていた。

母の光(てる)にも、松寿丸は殺されたと知らされます。

黒田家は
官兵衛は荒木村重に幽閉され、
松寿丸は織田信長に殺され、
内心ではどちらにつくにもつけずになりますが、
生きている可能性のある官兵衛を助けるためには
織田につき有岡城を攻めるしかありませんでした・・。

そんな時、
秀吉が三木城を開城・降伏させたことをきっかけに
戦局が完全に織田有利になります。

三木城が待ち続けた毛利の援軍は来ず、
三木城の中では兵糧が付き、
兵士たちが続々と餓死する始末。

ドラマでは、
ふたりのおじの板挟みになり、
結局毛利方についた城主・長治でしたが
やはり決断は間違っていた・・・。
妻子と共に、一家全員で切腹します。

ただし、嫡男だけは
織田方についたおじの養子として
かくまわれ生き延びた説も。
 
 
これを機に
有岡城・荒木村重方はさらに不利になります。

ろう城しますが、勝ち目はなく
荒木村重は兵糧を得るために、
そして毛利の援軍を頼むために
城を抜け、いったん尼崎城へ。

その間に、荒木の配下が手引きし
信長軍を有岡城に入れてしまい落城。

黒田官兵衛もこの時に
善助によって救い出されます。

一方、有岡城の落城を聞いた
黒田官兵衛の元・主である御着の小寺は、
織田信長の嫡男・信忠と交戦中にも関わらず、
すぐさま城を棄て毛利へと逃げおちます。

有岡城の落城から2カ月、
信長は「尼崎城と花隈城を明け渡せば
村重や家臣の妻子を助ける」と譲歩の姿勢を見せます。

しかし村重はこれを拒否。

妻・だしを含む、
親族や家臣の家族120人余りが
引き回しの上、銃殺・斬首などで
見せしめに殺されます。

(だしに子供がいたかどうかは明確な記録が残っていません)

荒木村重は
尼崎城から花隈城に移り、そこから毛利の手の者に従い
広島・尾道へ逃れたそうです。
 
 
さて、助け出された黒田官兵衛と
実はかくまわれていた松寿丸は
これを機に姫路の家に戻る事ができます。

秀吉は三木城に移るので姫路城を返すと言いましたが、
播州(姫路・赤穂あたり)の守りには
姫路が最適だと言い姫路城は秀吉のもののままがいいと言います。

そこで秀吉は
揖保(赤穂の隣・網干あたり)1万石を与え
この時点で黒田官兵衛はようやく大名になりました。
 
 
ドラマでは
宇喜多直家がやっと織田方につきましたが、

史実では
官兵衛が幽閉される前に
すでに織田軍についているので
そのため
毛利は荒木村重を助けに行く余裕がなかった、とも。

血なまぐさい時代ではありますが
ドラマで観る分には
おもしろい時代でありますね。

 
 
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